アートを面白いなと思うのは、自分はこう見てても他の人はそうは見てないということに気づく、ということだと思うんですよ

平成28年度群馬大学×アーツ前橋の連携事業をスタートするにあたって,総合プロデューサーの茂木一司教授と住友文彦館長が前橋をめぐるアート&教育の状況などについて語る!

場所:アーツ前橋
日時:2016.04.13


 
住友:実際僕がアートを面白いなと思うのは、自分はこう見てても他の人はそうは見てないということに気づく、ということだと思うんですよね。「え?そういうとこを見るの?」とか、「そういう見方するの?」とか。それはだから、僕が学芸員だとしても、その作品のすべてを理解しているということではない、ということの発見に、ドキドキわくわくするということはまさにあります。

茂木:それは学芸員としてキュレーションしてきた事から思っていることですか。
 
住友:そうですね。特にアートマネジメントということは、現場に関わるってことじゃないですか。だから僕は、大学の研究者になるっていうよりも、学芸員の仕事をしているっていうことが、自分にとって意味があるなと思うのは、わからないことに直面しちゃって、本を読んで理解したとかではなく、アーティストとかとつきあったり、作品を見たりとか、自分が予想しない他の鑑賞者の人の反応に問題意識をすごい与えられるんですよね。え?って思うことが、次に自分が考えなくてはならないこととかのきっかけになるんですね。だから、現場の重要さは、本とか二次資料でははなくて、現場や一次資料といえるものとの関わり合いだと思っています。
 現場と関わるための、茂木先生の言うところの、「生の身体技法」「生きるための身体技法」、まさに現場でどうやって自分たちが対応するのかとか、どうやって他の人と共有するのかということを講座を通して学ぶっていうのは、僕にとってはそういう体験と結びつくなあとは思っています。
 
茂木:一般の人たちは、アートはやっぱ、とくに現代美術はわからないとかって言われるじゃないですか。で、そういうことに対して、敏感な人、好きな人たちはいいんだけれど、そうじゃない、そういう人たちに向かって、例えばアーツ前橋は現代美術を一応テーマにしているようだけれど、どんなふうにしたアプローチをしていこうと思っていますか?
 
住友:なるほど。でも現代美術だけとは言ってないんですけどね、今の展示*も近代日本絵画ですからね。近代絵画としても、一般の人たちにしてみれば、どうやってアプローチしていいかわからないっていうことはあると思うので、そのアプローチの方法として、ひとつは、対話という方法をとっているのは、必ずしも知識を前提にしなくても、目の前の作品をもとにいろんな話ができると知ってほしいからです。
 あとは、切り口を、展覧会のテーマとかを、必ずしも美術史とかそういったものではなかったとしても、日常の生活感覚など、これまでだと、着る、とか、棲むとかそういうことを切り口に展覧会の企画をするってことも、橋渡しをする方法のひとつだと思うんですよね。
 

答えがあることに関しては取り組むんだけれど、答えがないことに対してアプローチがないんです、学校というのは!


 
住友:逆に教育現場(教育というもの)にとっては美術館に関わるっていうのはどういう意味があるのでしょうね?美術館と関わるということはね。学校と美術館の連携事業ですからね。
 
茂木:ん〜…、俺も(小中)学校の先生ではないのでむずかしいんですけど…、まあ、ひとつは(学習指導要領で)やるって決まっているからやるっていうこともあるんですが、実際にはあまり進んでいないってのが、たぶん現状ですよね。それはなぜかっていうと、わからないことに対して、学校っていうのは態度が冷たいんですよ。
 
住友:分かります。分かります。
 
茂木:答えがあることに関しては取り組むんだけれど、答えがないことに対してアプローチがないんです、学校というのは。
 
住友:学校の先生っていうのは、わかったふりしなきゃいけないからね。
 
茂木:子どもに聞かれた時にそれはわかりませんというのは、先生としてはアウトになっちゃうので、わからないんだけれどなんかやろう、というのは、美術館の役割なんですよね。あるいはアートの役割なんですよね。
 
住友:そこに、アートっていうのは社会の中にあって、たぶん、必要なんだっていう部分はそこなんだと思うんですよね。
 
茂木:でも学校がある種、随分前から形骸化してるというか、行き詰まっていますよね。フーコーやイリイチが指摘しているように、学校教育はいろんな改革をしてもうまくいかない。柔軟性を失っていて、社会全体のグランドデザインをし直す必要も見えている。たとえば、学校から離脱する人たちもたくさんいて、でもそういう人たちをアートが救えるっていう事例もあったりします。地域参加型のアートプロジェクトっていうのはそんな役割を担っている。例えば「(中平千尋さんの)とがび」なんかが証明しているんですね。
 
住友:うん。うん。うん。なるほど。
 
茂木:(学校の中で起きていることなので)それはおおっぴらには言っていないけれど。でもアートが、生きづらい、学校で生活しづらいとか、行きたがらないとか、という人たちを、確かに援助するみたいなことが、もう、リアルにあるんですね。
 
住友:実際に去年の講座も、学校の先生をやっている人がいましたよね。福祉をやってる人もいたりとか、全然こうアートと関係なかった人が参加して、何かを得ていったり、意味があったと思ったとすれば、今茂木先生が指摘したところが、それぞれのフィールドで何に行き詰まっているか、で、自分たちが知り得ない、わかり得ない、そういったものを認めた上で次にどういうコミュニケーションのステップを踏み込むかっていうことを、去年の時点でもそれなりに得てくれているんじゃないかという気はしましたけどね。
 
茂木:あとね、学校の先生が去年の講座に関わることによって、学校や学校の先生たちがどういう考え方をしているのかっていうのが、みんなに伝わったっていうのは、講座としても良かったなあと思うんですね。
 
住友:だから、もっと、例えば会社で営業をしている人だったりとか、自分の家で商売をしている人だったりとか、たぶんすべての人が何らかの形で自分以外の他者と関わるっていうことを基本において考えると、まあ別に美術の勉強をしていなかったとしても、こういう講座で、自分のところでうまくすすまない、うまく解決できないこととかのヒントを得る、可能性というのはあるかなという気はしますよね。

 

それ自体が非常に教育的な意味合い、学びの場に…、つまり連続したワークショップみたいなものになっていて、答えがあるわけじゃないんだけれども、みんながそこに集まって、なにかを創り出していくことを楽しむ


 
茂木:アーツ前橋が地域アートプロジェクトにある種、力を入れているのは、ミッションとも関係があると思うんですけれども、実際にはたてまえ以上の理由がある気もするのですが?
 
住友:はじまりは、建物がなかったから必然的に地域に出ていったんです。建物ができたら当然それを中の活動にシフトさせる予定だったんです。ですけれども、建物がないときにやってたことがとても地域の人たちにとって、「あ、こういうの面白いね」ということになって、やめられなくなってきたんですね。シャッター街の商店街をアーティストは否定的に見ないわけですね、全然。経済の論理でものをみないから。で、そこで生き生きといろんな活動をするわけじゃないですか。そうすると商店街の人たちは、ここをほんとに楽しんでくれるアーティストたちのクリエイティブな能力を、すごく喜んでくれるわけじゃないですか。これは簡単にやめるものじゃないな、という形でずっと今まで継続してきているのですけれども、それは、アートは単なるサービス業じゃないですからね。やっていて、アートっていうものが、すごく自分たちの世界に閉じこもっているわけではなくて、例えば経済の問題であるとか、少子化の問題であるとか、自然破壊の問題であるとか、いろんな問題とアーティストが向き合うことによって、やっぱり面白い表現が生まれてくるんですね。美術館としても、やっぱり一緒に併走していくべき、館内だけの展覧会をやるのではない可能性をみつけているので、意味があるなと思うんですね。
 
茂木:僕がやっているのを見ていてすごいいいなと思ったのは、いろんな人たちの思いがそこにうまく取り込まれているということとか、あと、それ自体が非常に教育的な意味合い、学びの場になっているな、つまり連続したワークショップみたいなものになっていて、答えがあるわけじゃないんだけれども、みんながそこに集まって、なにかを創り出していくことを楽しむみたいな、すごくいい活動だなと思いますよね。
 
住友:確かに、例えば西尾(美也)さんのプロジェクトの時は、群大と一緒にやりましたよね。その時、学生とかもいろいろ参加してくれたんですけれども、それは一般的に言えば、群大との(地域貢献)事業連携なんですが、でも、それは別の角度から見ればお互いはアウェイっていうことになるんですよ。大学が美術館に、美術館が大学に関わる。で、両者が「地域」っていうアウェイでやる。
 で、アウェイというのは、最大のレッスンなんですよね。「自分は何ができるのか」、そこですごい試されるんですよ。だからアーティストにとってみても、展示室っていう「ホーム」じゃなくて、アウェイに行くことによって、すごいいろんな事を考えて、それを引き出さなきゃいけなくなる状況になるっていうのは、そこにやはり地域アートプロジェクトのポテンシャルがあると思うんです。
 地域アートプロジェクトのさらに人材育成講座をやるっていうのは、僕らにとってみても、「ホーム」じゃないところで講座をやるっていうことなので、実は地域と向き合うという点では受講者の人たちと立場は同じなのかもしれません。だから、学びのスタンスとしては、知っている側が教えるんじゃなくて、両方とも同じ立場で、これまであまりできていない…。
 
茂木:フラットな関係性の構築ですね。
 
住友:そうですね。なにかこう、これから考えなきゃいけないことを得ようとしている場なんだっていうところは、けっこう重要なんじゃないかなと思うんですよね。
 
茂木:参加っていうレベルも、(運営側・参加者側が)同じになるわけですよね。
 
住友:そう、そう、そう。本当にしょっちゅうそういうことはあって、例えば木村(崇人)さんのあずま屋のプロジェクトで赤城山の草花を置いている所がありますよね。ああいうのをやると、例えば当然、商店街の、馬場川(ばばっかわ)っていう川を使っているんですけども、その川のことにすごく詳しい地元の人がいるわけですよ。僕らもアーティストもよく知らないことを、その人から学ぶわけですよね。とか、そういう事の連続なんですよ、すべて。だから、アーティストだから、学芸員だから何かを知っている、という立場じゃなく、向き合わなきゃいけないというのが、地域っていうフィールドなんだろうなと思いますね。
 
茂木:なかなか掘り起こせないことが、アートによって必然的に掘り起こされるってことは、本当によくあるっていうか、それが普通だっていうことですね。
 
住友:そう、そう、そう。目の付け所なんですかね。馬場川に詳しい地元の人も、馬場川のことを知っていたとしても、わざわざそこに赤城山の自然を持ってこようっていうのはやっぱり彼ら(アーティスト)しかできないことだと思うんですよね。
 あるいは、思ったとしても普通はみんなしない、だけどやっちゃうっていうところが、やはりアーティストの面白いところだと思うんですね。
 
茂木:けっこう、マネジメントという言葉が、僕は(頭に)入りにくいんだけれど、今言ったような意味で、マネジメントがこう、起きているのですね。
 
住友:できないかなと思ったところを、どうクリアし、どう進め押していく事ができるかというのが本当のマネジメントですね。

 

正解であるとか…なんだろう…?


 
茂木:最後に、このアーツ前橋ができて、少しこんな風に美術(アート)の受けとめられ方が変わったというようなことを感じてますか。
 
住友:いやぁ。そこまで一気にはいかないかな。
 
茂木:でも、(アーツ前橋の)方向性はいいなって思いますけど、まだ外から声ははっきりとは聞こえてきていないということですね。
 
住友:それは開館の時と今では全然違っていて、開館の時はそもそも(前橋商店街に)何ができるのかがわからない、みたいなそういう状態からスタートしてるし。今もアートについての理解が進んだかといえばわからないんだけど、しかし人がいない場所(前橋商店街)がこうやって、4分の1のお客さんが県外から来るようになったっていうのは街の人からするとやっぱり「すごい!アーツができて良かった!!」っていう反応でもあり、それだけでなく、「わからないけど何だかおもしろよね、アート!」みたいなことにつながっているのかな?
 
茂木:鷲田清一さんが言っている「わからいことをそのまま受け入れることが大切」という話がありますね?
 
住友:知ってます、知ってます。
 
茂木:わからないことを受けいれるってことが一番大事っていう話ですけど、同じことを平田オリザさんも言っていて。それが要するに(アートが)多元的な共生社会を進める?それが今の前橋の話だ、ということですね。それにアート=生きるための技法であれば、今アーツがしようとしていることはすごいマッチングしてるなあって思います。そういうことを少しみんなが理解してくると、もうちょっと力も抜けるし、生きやすくなるんじゃないの?っていう風に思うっていうことなんですかね。
 常に正解を求めたり、求められたりするっていう生き方をみんながやめれば、もうちょっと楽になるし、それが(個人や社会の)創造性をもう少し押し上げるチャンスになるだろうって。
 
住友:正解であるとか…なんだろう…?
 
茂木:自分で自分の枠を決めて、その立場から何かをするのはルーティンワークで思考停止状態をつくる。それは今まで正解ばかりを教わったり、求めてきたりした結果なんですね。
 
住友:確かに。僕も館長じゃないといいなぁ。そういう話じゃないか(笑!)
 でもそういうことによってすごくこう、まあ、傍目で見ても、この人すごく硬直しちゃってるなぁとか、そのことですごく疲れちゃってるなぁとか、そういう風に感じることとかってやっぱあるし、建前社会とかね、そういう部分っていうのは一気にはなくならないかもしれないけれども、…自分が知らないことを他の人が知っていることを認めるってことですごい楽になるはずだと思いますよね。
 
茂木:そのためにはそんなに難しく考えないで、アートを楽しむって(考える)だけで、だいぶリラックスするんじゃないかなと僕は思っているんですね。そのくらいの気持ちの余裕を(日本人や日本社会は)持ちたいですね。
 
住友:アートって聞いただけで肩に力が入る人がいますもんね。
 これからアーツ前橋は障害を持っている方や高齢者・認知症の方、外国籍の方など、多様な人たちを招き入れていきたいと思っています。最初は接するのにむずかしいなと感じる人でも(アートを通すと) 自分が思っていたのと全然違う側面をやっぱり見つけて、逆に自分が救われたり、新しい発見をできたりすることはよくあります。共生って、すごい特殊な地域とか国にとかで必要とされていることじゃなくて、まわりにやっぱりそういう人がたくさんいるっていうことに気づき、認めることですよね。
 
茂木:そうですね。そうそう、そんな感じですよね。アートやアーティストが気づいて掘り起こしちゃうってことによって、何か渦が起きるというか、波風が立つということはすごいいいことですよね。意味がありますよね。
 
住友:だから、こういう講座が自分たちの問題として必要なんだなと思ってくれる人がきっといるんじゃないかなと思いますけど。

写真(木暮伸也・春原史寛)